こんにちは!陰ヨガ講師のTAiGAです!
日干の話の続きです
改めて誕生日の構造を考えてみましょう
「あなたがこの世に生を受ける事になりそうだ」
という時に得るのが「年柱」です
ここで肉体の性別が決まりますし
あなたの出産について想いを巡らせている
まだ親の物語が、あなたと共にあります
あなたを表すには、まだまだ大雑把なものになります
その年に生まれる人は沢山いるし
期間が365日と長いため、どんな性質がある年かも
一概には言えません
次にどんな季節に生まれる事になるか
という時に得るのが「月柱」になります
この位置はおよそあなたを取り囲む
大きな環境としての作用があります
どんな季節に所属しているかは
その季節を生きる生物の生活を支配します
昼と夜の長さはどうか、気温はどうか、食料はどうか
狩りに出る時間、休息の場所、寒さや乾きにたいする対策
その時を生きる生物たちに条件を与えます
そしてさらに「生まれる年」から比べると
より一歩、あなたに近づいた個人的な条件と言えます
月が決まれば、あとは生まれは日付
その日を境に親とは別の肉体を手に入れ
個人的な物語が始まるのが「日柱」です
必ずしも予定日通りとは限りませんから
本当に生まれるまで、分かりません
生まれた時刻は
さらにプラベートに迫ります
時々、「生まれた時刻は晩年を表す」
という四柱推命鑑定の理論がありますが
どうしてそのような事が言えるでしょうか?
こういう捉え方をしてしまうと
途端にポエティックです
年や月は性質の話だったのに
時刻になった途端、暗示の話です
晩年に強く影響すると言い切れる根拠が
見当たりません
憶測ですが、東洋思想自体に輪廻
(命の輪、生まれて死に、また生まれる)
という哲学が根底にあるからの様に思います
単純に理論的なことを考えるのであれば
何時に生まれたという時間の特徴も
生まれた月の影響がある事に留意するべきです
昼と夜の長さは季節に依存するからです
午前7時生まれだとしても夏生まれと冬生まれでは
日の照り方も、暖かさも違います
「どんな日だったか?」を想像するには
季節の背景がかならず必要です
季節に影響されるので
生まれた月ほど強い概念ではないし
日付のような、何回目の太陽や月かという
暦の影響下にもない
でもあなたが始まる時刻とは
あなたにとって一大イベントです
見かけや、ちょっと垣間見る私生活
よりも奥の、良く一緒にいなければ見えない
おおやけではない個性として良いのではないでしょうか
他人にとってではなく
自分にとって強い意味をもつ位置ということです
そして前回の記事と併せて考えます
いずれかの日干を誕生日によって得たあと
その他の十干の性質はその人には備わっていないのか?
というところで
その人なりの十干はあるのではないか
という仮説から、改めて誕生日の構造を
考え直してみました
「日干は本人です」とだけ扱うと
忘れがちなのは
それが誰にとってのものかという所です
もとを辿れば誕生日とは
あなたが母親のお腹から社会に出て肉体を得た日
周囲の誰かにとっての他人になった日です
周囲の人にとっても
あなたは誰かの「環境」となった日です
人間は社会性を持った動物で
社会の中で前進したり停滞したりします
その日の天干は
あなたをだけを表すのではなく
とても社会的な意味合いを含んでいる
「あなたが特に大事にするべき文字」
と考えられるのではないでしょうか
あなたが生まれた事が重要であって
何時に生まれたかと、何年何月に生まれたか?は
「あなたにとってだけ重要」で
周りにも重要なのは
日付と言えるのではないでしょうか?
いつから食事と寝る場所を用意すればいいですか?
と聞かれれば
何日からです
と答えますよね
だから改めて考える日干は
「あなたの分身」です
占いに出会ってはじめて知る概念が多くあります
生まれて十数年生きたか、もしくは成人して
興味からか、迷って道を求めたか
その時「ご本人を表すのは、ここの文字」
と言われると
あたかもこれが自分だと
思ってしまうかもしれません
でもその表現
すこし人の可能性を制限するような
閉塞感を感じませんか?
だから個人的に「あたし甲なの!」には
違和感をじていたのかもしれません
周りは「甲」を知らなくても
とうにそれっぽく見ているし
もっと占的に言うなら
月柱の影響下にある日柱+時柱&年柱っぽい男の人or女の人だな
と周りに見られています
そう思って四柱推命を読むと
天干を大事にする理由
地支を上手に使う理由が
もう少し定まるなと感じます
少数派の意見ですけどね!
命式を読む考えや楽しみを伝えていきたいです