コラム

占いで大切にしている事


断言します。

ぼくは相談者さまを、「占いで幸せ」にしようとしていません。

幸せになることを願って、見守っているという所で足を止めます。

は?

と思いますか?

いえ。ここは引けない

最も重要な箇所です。

 

相談者さまは「不調」なのかもしれないですが

「不幸」ではありません。

今かなりの酷い目にあっている人は

「大絶不調」であり

「不幸」とは区別します。

 

「調子」の問題だから調整が可能なのです。

幸せは感じ方の問題。

感じているものに気づくのと

感じ方を変えるのは

全く別ものです。

 

ぼくは個人の感じる幸せという基準に

占い様が出て行って干渉する必要はないと思っています。

どこまでが占いで何がそれ以外なのか。

ハッキリ区別して、退くべきところを明らかにしたいと

そう考えています。

 

 

幸せになりますよ、と人を呼び寄せるのは

今あなた不幸ですよ、と相手を設定しているに近い

相談者さまを不幸と決めつける事は、ぼくには出来ません。

 

 

さらに。

その人に幸せになってほしい

これは占い師としてではなく

普通に人としての一般的な願望です。

 

ぼくはたとえ違う仕事をしていても

それを願いますし

占い師だからすべき事というものではないかなーと

個人的には思ってます。

なので占い師として「あなたを幸せに導く」とは

絶対にキャッチコピーを書きたくありません。

大手の広告に良くあるんですけど

怖いし、よく意味が理解できません。

 

人を前にして占いをして感じていることがあります。

占いの結果的には結構厳しそうだけど

実際の人を見るとニコニコして

いやいや結構幸せよ、まあ満足してるけど占いどうよ。

と言う人も、いるんです。


それは占いが外れたとか、占いは当たり外れじゃない

と言う問題ではなくて

少なくとも四柱推命は人の「幸、不幸」が核ではなく

境遇の「優遇、不遇」を捉えている。

境遇や環境が、報酬の多寡に関わる

でも得たものをどう使うか、感じるかの幸不幸は

こころの方の問題です。

感じる事を指示することは催眠術ですし

無意識の状態を整えるのは

セラピーで行うものだったり

治療にあたります。

占いの本質とは違うオプションだと

考えています。

 

あり得ますよね?

不遇なのに幸せ

優遇されてるのに不満が多い

恵まれ過ぎて甘くなった

過酷過ぎて孤高の強さを得た

良い悪いの話を超えています。

 

だからって「占いは当たり外れではない」と

技術より大事なものがあると振り切れるのは、オカシイです。

むしろ「占い的にはこう出てます」と軸を持って伝えて

運気よりもハミ出して

努力で得た「上振れ状態」であるのか

どこかで道を見失い「失調や不調」を起こしているのか

こういった事を察知して

占的視点から開示しなければ

看板は占いなのに、セラピーになってしまいます。

 

とはいえ。

この世の全ての悩みは人間関係

という結論を出す心理学者が居るほどです。

幸せになれる範疇が

狭いより広い方が、当然幸福度は高いですよね

こだわり強い人のほうが、まゆ毛が寄りやすいです。

幸せを感じるストライクゾーンを広げる

思考術を伝授するのは、こころにゆとりを持たせてくれます。

 

 

得意な人や、志がある人は

ぜひ占いと、他の技術を合わせて

一緒に行ったら良いと思ってます。

独自の体系を作り、教祖を持たず

ガラパゴス的に進化したら良いと思います。

相談者が健やかになるためなら、なんでも使ったれと思います。

ただ一言に「占い」といっても

他力的な「治療」の意味や

僥倖と一緒になっている側面は

区切るべきかなと思っています。

 

運気は巡って、去っていくもので

いずれ無くなりますから

去りづらい自力も育てる

ぼくは自分と向き合うヨガも

重要だと思っています。

 

占い的な客観性を伝え、無理なく本人が自分と向き合える

自らの軌道に乗っかれる。

本来の自分の欲求に気づき

繋がることが

一番元気になる方法ですから!

この事を、幸せよりも大切にしています。