こんにちは!陰ヨガ講師のTAiGAです!
「日本の四柱推命は」…って
最近聞くけど
まあちょっと分かるって話
やっぱり勉強してみて
四柱推命は哲学的だと感じる
スピリチュアル的とか
宗教的では無いと思う
通変星に固定した意味がないとか
十二運は四柱推命の理論じゃないとか
格の名前をつける意味がないとか
色々聞いて
じぶんもそれは一応その通りだと思うし
違う鑑定してきた
当たらないだけなら可愛いが
当たらない時に通変の解説で進んだり
日干の五行の特徴で終始する
こわいし
客観的な妥当性が感じられない
かるく触れると
通変星は自分がいる位置からの
他の五行の座標
だからこれだけで鑑定なんてしない
自分が岩手県にいれば東京都は南側にあって
神奈川県にいれば東京都は北側
この例えは縦軸の話だけだけど
通変星は差異であって吉凶では無い
十二運はそもそも陰陽五行を使ってない
ぜんぶの五行の生旺墓が一緒になっていて
たとえば甲の帝旺と壬の帝旺に
区別がついていないのに
そこに触れない
いまさら細分化しなくても
元の八字を見れば済む
もう空亡も使っているはずないよね
格は鑑定のガイドが欲しい人用の
先人が残した定食セット
じぶんも外格は
参考にするけれど
「化す」とは、文字通りばける事で
元からそうであるのとは別だよね
化すか化さないか?で悩む必要も
実はそんなに無い
従うのは意思
逆らうのも意思
同じ生年月日で同じ性別の人が
同じ開運法を必要とするかどうか
考えたら疑念が湧くのも
自然だと思う
色々考えて、個人的な想いから
その理論とか表現って
あんまり妥当性は無いんじゃないの?
と言いものを避けて
なんとなくそれらしい四柱推命で
ヨチヨチ歩きを始めてきた
まだ詳しく知りたいと思って
色々人の話を聞いたり、本を開いてみても
発展がなかなか難しい様に感じる
疑問を持っていないのかと思う
出典や由緒を語れる人はいる
勉強家だと思う
でもその説を跨いで
じぶんはこの様に使っていると言う人を
じぶんは見たいし聞きたい
この点には失望した
だからそうした時に
「日本の四柱推命は…」
と言いたくなる気持ちも湧く
少なくともたとえば
「偏財は投資の星、印綬は学問」
として
それを現場検証するだけの鑑定なら
それは「光あれ」の意味を
ググって伝達するのと変わらない
なぜ四柱推命が宗教的ではなく
哲学的なのかと考えるかというと
「自分の疑問に自分で答える事」が
必要だと思うから
宗教でこれはやらないはず
「全てを信じる事」
から始めなければ整頓されない
疑問が全て解消されてやっと一人前
と言っているわけではなく
それなりに理論は持ってるけど
同時に疑問も持っていて
問いを持って活動するのが
適度に健康かなとかんじる
日本の四柱推命は先に答えがある
迷いのもとだと思う