占い

当たらない占いって面白い?

 

こんにちは、陰ヨガ講師のTAiGAです!

今日は卜占(ぼくせん)のお話です

(偶然から啓示を読み取る占い。タロット、サイコロ、おみくじ等)

 

先日

去年の暮れに立てた

年間の運勢を問うイーチンタロットが

とりあえず今のところ

当たってると言われ

ほんとか

怖い笑

あれ当たってたかぁと

驚きと畏怖が混ざった感情を持ちました

何度当てても

じつはどこか

慣れない所があります

 

ぼくは好きなカードにも恵まれて

イーチンタロットや周易のお話も好きです

しかし実践の中心はやっぱり四柱推命

 

卜占をメインとすると

自分はズレ始める人間だと

どこかで思っていました

 

卜占に深く詳しくなっても

なるほど、分からない。

こういう感覚を

面白いと思っていられる距離を

取っていたいのです

 

相談者と自分は大の大人ですから

普通のことは問題解決ができるはずです

喉が渇いたらどうすればいいか

お腹が空いたらどうしたらいいか

催したらどこへ行けばいいか

いちいち聞かなくても分かる事は

とうぜん沢山あります

こんなこと

占いで聞きに来るはずは

ありません笑

 

占う時というのは

だいの大人が2人揃って

知恵を出し合っても

分からないことがある時です

 

日常は複雑なことが

はやい速度で

何度も選択を迫られます

ソリの合わない人とどう付き合うか

AとBどちらを選ぶか

仕事はどうすればいいか

 

それらに確信を持っている人は

たぶん今健康です

昔じぶんが投げたボールが

その方向へ着地するまで

飛んでいっている

その途中の人です

 

しかし一旦

立ち止まってみた

考えてみた

考え直してみなくなった

だから聞くんですよね?

わからない事を

聞きたくて

真剣に易をたてたり

カードを使うんです

 

聞かなくても分かることを聞くのは

もはや心の問題の話

占術じゃなく心理の領域です

(ふたつの面からセッションする方も多いです)

担当している領分を

間違えてしまうと

気がつかないうちに

リスクをとっている事になります

 

わからないことを

カードを通して

聞きにいく

この謙虚さを忘れて

占いを経済資源としてだけ見て

誰かに満足してもらうことに徹すれば

いずれ出会うであろう

当たらないと言われる場面や

その場で満たせない相手

そういう評価と

自分の手にとった占いや自身の価値を

同一視してしまうでしょう

 

さらに

値札をつけると

確実な結果を求められます

だから僕らも頑張ります

学び続け

解らないことを減らしていきます

自信を持って人前に出た時

「分かる事を提供している」

という前提で胸を張っているのです

 

卜占をするにあたって

このズレ始めに

繊細でありたいです

あくまで当初は

「分からないことを聞く」

ということが原点だったはず

わからず曖昧なままで良い

と言っているわけではないですよ笑

慢心するなというものでも

自信を持つのはカンチガイ

という話でもありません

 

理解が進んだ後に

いつもの自分で居る大切さ

余白とか

不思議って大事

当たらない不思議も

当たる不思議も

一緒に伝えていきたいです

 

卜占が再現性を持っているのは

「もう再現できない」事だけに尽きると思います

それはぼくらの生まれやキャリアと

まったく一緒ではないでしょうか?

最後までお読みいただき、ありがとうございました